わたしとヨガ、そしてアーユルヴェーダ


クシャナヨガ14周年記念クッキー缶
インドの神様「ガネーシャ」も!


先月、私が通っているヨガスタジオが14周年を迎えた。その時からなんとなく「私にとってのヨガとは?」「私にとってのアーユルヴェーダとは?」と自問していた。
ヨガに関してははじめてきちんとヨガをしたのが10年ほど前。その時はなんとなく「身体によさそう」という理由から始めたものの、結局、1年もしないうちにその習慣はなくなってしまった。それから、5年ほどが過ぎ、再びヨガの必要性を感じ少しずつ再開していった。

そして、今通っているヨガスタジオに通うようになり気が付けば8月でまる3年を迎える。週1回のスタジオでのヨガに、今では自宅でも動画を見ながらヨガや瞑想をしている。まさに今のわたしの生活の一部となっている。

なぜこれほどまでに変わるのか。自分でも当初はまったくわからなかったけれど、今でははっきりと言えることがある。ヨガを愛する友人が以前こんなような言葉をいっていた。それがまさに私がヨガを続ける理由。

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ヨガは自分というランプのガラスの曇りを磨くようなもの。
ガラスが灰で曇っていたら(中から見る外の)世界は暗いけれど
ガラスがきれいに磨かれていたら、灯りが世界を明るくともしてくれる。

やがて、
自分自身がもつ「灯り」そのままで
自分も、自分の周りの世界(や人々)をも明るく照らせるようになる。

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生きているといろいろなことが起こり、そこにいろいろな感情が生まれる。それが当たり前ではあるけれど、その時に心のバランスを整え、自分という軸に戻ってこられるのがヨガなようが気がしている。自分で自分の手当の仕方がわかると、必要以上に がんばる必要もなくなり、「今」を楽しく自由にうごくことができる。(ような笑?希望もふくめて)
そうした自分が発する行動や言葉が、時に誰かを灯せることもあるのだったら、こんなすばらしいことはない。


ヨガは、単にポーズをとること(アーサナ)だけでなく、呼吸法や瞑想法も含めてヨガであり、そこには哲学的な思想がはっきりとある。私がここ数年ヨガを続けられているのは、この部分が大いに影響している。この哲学的な思想は、アーユルヴェーダにも通じるもので、ヨガもアーユルヴェーダも同じインドの古代文献「ヴェーダ」から派生しているのだから納得する。

両者ともに、生命は「身体」「心」「感覚」「意識(魂)」から成り立ち、そのどれもが健康ではじめて「幸せ」の状態となると説いている。言葉にするとなんだかとてもスピリチュアルに偏ったようにもみえるが、実はとても現実的であり、要するに人が生きて幸せに生活していくための「術」を教えてくれている。

「術」なのだから、知らないよりは知っていた方がよい。
知ったからには、より深く知りたい。
深く知ると、さらにそれが習慣となりやがて自分のものとなる。

そんな気がしている。
長くなりましたが、「わたしとヨガ、そしてアーユルヴェーダ」の道はこれからもつづきます。



▼私がいつもお世話になているヨガスタジオ
先生たちが発する言葉も、スタジオの空気も、おいしいカフェもピカイチ!

▼アーユルヴェーダの基礎を教えてくれた学校

▼ヨガ哲学をやさしく教えてくれる私のバイブル
こころのヨーガ」 


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