ヨガRYT200⑥ 筆記試験・実技試験終了

これまで学んできたヨガについて、何を学んできたのか?力試しのような試験がようやく終わった。正直、ここまで大変な試験であるとは全く予想もしていなかった。まして、私はヨガ講師資格(RYT200)がほしい目的でこの講座に申し込みをしておらず、あくまでも自分のヨガを深めるため。その為、ここまで大変なことをなぜしなければならないのか……もやっとした時もあった。


4カ月にわたる講座のスタート時期は、アーサナ一つひとつについてグループごとに「リサーチ」する時間が多い。正しいアライメント、間違ったアライメント、その修正方法、アジャストの仕方など、まさに探求する時間。そして、毎回その体験、感じたことを言葉にして発表する。


講座の中盤になると、体の仕組みである「生理学」、筋肉や骨格の仕組み「解剖学」と学びは続く。そして、その合間にヨガが大切にしている「哲学」についての講義が多々あった。私自身、この哲学の部分にもっとも惹かれてこの講座を受けることにした為、ある程度の知識はあるものだと思っていたけれど学べば学ぶほど、奥が深い……。数カ月ですべてを理解しようなんて到底無理だった。


講座も後半になると、いやでも試験のことが頭をちらつく。それと同時に、ヨガの聖典「ヨガスートラ」から自分が好きな一節を選び、その解釈を述べるという課題が出された。スートラ自体が難解であるのに、それについての自分の意見を述べる。しかも、その解釈に至った自分の”体験”を踏まえて記入しなければならない。ここにも、知識を得るだけではなく、実体験を踏まえての自分なりの考え、そして熟考を経ての理解を重視するスタジオのポリシーがひしひしと伝わってくる。しかし、これがとてつもなく苦労をした。1度の提出では終わらず、先生の疑問や投げかけによりさらに深掘りをしていくことになる。結局、6回目にしてようやくOKが出た。


こうして仕上がった課題を、次は皆の前で発表をする。一人ひとりの話を聴くこの時間がじんわりと心に響いていくのを感じた。あまり人には話してこなかったことや、心の葛藤などをスートラの解釈と共に述べていく姿に心が震えた。私自身も幼少期からの葛藤について話すことになったが、不思議となんのためらいもなく発表をすることができた。ここまで一緒に学んできた仲間の前では、不安よりも安心感に包まれていた。


スートラの発表が終わると、残すは筆記試験と実技試験。肉体的にも精神的にも山を越えたらまた次の山……、と何度も山を越えてきたので、あとはひたすら勉強するのみ!ここまで必死に勉強をしたのは、ワインの試験の時以来かもしれない。あの時は30歳ほど。20年振りの勉強は、覚えては忘れの繰り返し……。おまけに、サンスクリット語のカタカナがさらに暗記力を低下させてくれる。筆記の勉強と共に、実技試験の対策もはじめる。実技は自分で考えたシークエンス(レッスンの流れ)をもとに、皆の前で先生役をするというもの。できることならパスしたい!と心底思った。


それでも、試験本番はやってくる。時は流れる。筆記試験は、生理学・解剖学・哲学の3教科を3時間で解く。どんな問題かは最後まで明かされなかったこともあり、開けてびっくり、語彙を問う問題ももちろんあるが、大半は理解度を問うような記述式であった。久しぶりに腕が腱鞘炎になりそうな時間を味わった。終わった後は、呆然。


そして、翌日には実技試験。これまでにも何度かティーチングの練習はしていたものの、何度やってもこればかりは緊張する。しかし、ここでもやはり「皆がいる」という安心感のお陰でやり遂げることができた。


終わった。ようやく、終わった。喜びというより、心からほっとした。辛くて逃げたくなった時もあったけれど、今はやり切ったという充実感と自分を褒めたい気持ちでいっぱいだ。ダメ出しばかりしがちな毎日だけれど、今回ばかりはしっかりとこの気持ちを味わいたい。
そして、試験終了後の先生の言葉が残る。


「ここまで大変だったと思います。それでも、言葉で人に伝えるということはすばらしいことです。お疲れ様でした」


ヨガはアーサナばかりが取り上げられる傾向にあるが、相手に伝わるようにリードをしたり、相手に伝わるように表現をする場面が多々ある。言葉をとても大切にしている教えだとつくづく感じた。

無事に試験にも合格をし、今週末はいよいよ最後の修了式。

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