RYT200① ヨガをすること。


6月からヨガの指導者養成コースRYT200をとることに決めた。といっても、ヨガのインストラクターになる気持ちは、まったくなく、それなのに、なぜわざわざ高額な受講費を払ってまでこのコースを受けようとしているのか? 資格取得が目的ではなく、目にみえないものの為に、ただ自分のためだけに受講を決めたいきさつを記しておきます。


ヨガがしっかりと生活の一部となってから5、6年が経つだろうか。その中で私が感じていることは以下のようなこと。


・ポーズをとっていると、普段動かさない筋肉が伸び単純に気持ちがよい

・吸って吐いて、と呼吸を意識することが心地良い

・マットの上では「ひとり」となる時間が好き

・慌ただしい日常の中で、15分でも30分でも自分のための静かな時間が好き

・スタジオへ行くと、シャヴァーサナでほぼ眠りにつくほどリラックスできる


これはほんの一部であって、ヨガが好きになってくると、今度はヨガとは?と興味がわき、ヨガ哲学に関する簡単な本を読んでみた。そこには一見、難しそうだけれどとてもシンプルな「生きる」ことへの姿勢についての言葉が書かれていた。これがさらに私のヨガ熱を加速させた。そのきっかけとなった本はこちら↓ 今でも私のバイブルです。


「ヨガとは、自分の心というランプのガラスを磨くようなこと。ランプのガラスが曇っていたら、外の世界は薄暗くぼやけているけれど、きれいに磨かれていれば外の世界はクリアに美しくみえる。さらには、そこから発する灯りは周りをも明るく照らすことができる」


以前にも紹介したことがあるが、この言葉は友人から聞き、ヨガとは私にとってまさにこうした存在であり、これからも続けていきたいと思っている。そんなヨガを深めたい!と思うのは、いたって普通なことであるのだけれど、なんせ「RYT200」とつくと受講費が趣味を超えた金額になる…。どんな分野でさえ、資格取得を目的とした講座の場合、それをとってその先どうするの?といった考えがよぎる。とったところで、目にみえる違いがはっきりとわからないととる意味がないようにさえ思えてしまう。そんな資格であれば必要はないし、ならばより趣味よりな講座でいいでしょ、という声が心からきこえてくるようだ。それはまぎがれもなく、私の固定概念であり、これを払拭するのに相当な時間がかかった。決断までに時間がかかり、頭がおかしくなりそうになった笑。


初めはこれまで通り、スタジオに通いながら、ヨガの中でも最も興味のある「哲学」だけをオンラインでとることも考えた。けれど、ヨガの楽しさを教えてくれた信頼している先生から、「ヨガ」の全体像をきちんと学びたいという純粋な気持ちに気がついた。


結局、決断にいたった理由は、ヨガはもはや私のなかでは趣味というものではなく、共に人生を歩む「友人」のような存在であり、その友人のことをさらに深く知り、より結束した仲間になりたいと思ったからだ。さらに、今年は50歳という節目の年であり、これから先50年!生きるつもりであるので、ここはいったん、生きる上での安定したベースを再構築するのに絶好の機会と思った。4カ月で○十万となると恐ろしくなるが、残り50年!の為にと考えると納得できた。


私にはまだまだやりたいことがたくさんある。食べること、暮らすこと、毎日を生きるということを楽しみたいし、アーユルヴェーダや薬草のことも学びたい。山歩き、森歩きもずっと続けていきたい。その為にも、心と身体をバランスよく健康に保つことが今の私のやるべきことだと思った。それが、私にはヨガだった。


お金や時間、あらゆることを考えても、ここまでヨガに没頭する時はこの先ないだろう。こうした選択をできる今の環境に感謝しながら、楽しみながら、チャレンジしてきます。現時点では、不安7割わくわく3割!

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