ヨガ哲学④/ダルマとは?

最近、「バカヴァッドギーター」という言葉が目につく。ヨガをする人、インドに関心がある人なら一度は耳にするヒンドゥー教の聖典であり、非暴力・不服従運動で有名なガンディーもこの聖典に支えられて生涯を生きたことをあるTV番組で知った。また、オンラインでヨガ哲学を学ぶ中でもこの聖典が切ってもきれない重要なものであり、その理解を深めるためにも印象に残ったことを書いていこうと思う。


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このバカヴァッドギーターの中でも登場する「ダルマ」という言葉について、今回は書こうと思う。本来なら、前回に書いた記事「ヨガ哲学③/カルマヨガ」の前に、書いた方が分かりやすいのだけれど、この記事の後にまたヨガ哲学③の記事を読んでもらうとさらに理解が深まるかなと思います。


「ダルマって?」

この聖典の中では、ダルマとは「自分に与えられた役割、行うべきこと」として考えられています。一人ひとり、与えられたダルマは異なり、それらがうまくバランスがとれていると世の中に調和(平和)が生まれます。自分に与えられたダルマと他者のダルマは違う、ということが大切であり、そのことをしっかりと頭に入れ、自分に与えられたダルマ(役割)を全うすべきと考えます。


例えば、会社という組織では社長がいれば社員もいる。営業もいれば経理もいる。どっちがエライ、エラくないというのではなく、皆が社会の一部として与えられた役割をしているのであり、それがすべてであるということ。ダルマの対象は、必ずしも仕事や社会的な立場だけを指すわけではなく、専業主婦であってもそれぞれが自分自身のいるべきところにとどまりやるべきことを遂行していれば、それもダルマにあたるのです。


「自分に与えられたダルマはなに?」

自分のダルマを考える時に、いくつかのポイントがある。以下のことを頭の片隅にいれながら、自分のダルマとは何なのだろう?と思いを巡らす時間もいい。


●外側からの情報に左右されない。

SNSや様々な情報からつい周りと比較をしがち。そうではなく、自分の内側にある本質(内からの声)を信じること。心から幸せや喜びを感じることに、自分の可能性を最大限に生かすことが私たちの役割。幸せな人をみて嫉妬する時は、まずこのことを考えてみる。


●ダルマを壮大な天職だと思い込まない。

なにか大きなことだけがダルマではなく、今目の前にあることを続けていくことでダルマが見つかることも多い。日常にもダルマを感じる。


●「何もしない」というダルマもある。

何かと自分の人生に意義をもたせたくなるが、忙しければいいわけではない。今は何もせず自分を見つめる、というダルマもあることを受け入れる。


●ダルマは変化するものだと知る。

新しくやってくるダルマを素直に受け入れること。過去のダルマに執着しない。



「正しいダルマの行い方」

~ダルマは、何を行うかよりも、それをどのように行うかが大切~

そのダルマ(役割)を受け入れ、果たしていくためのその行為に集中する(=カルマヨガ)


●与えられた仕事は、その先にある結果に執着することなく、そのことに集中して行う。

●その仕事の中で、自身が快適でサットヴァな気持ち(純粋性)になれるかを意識する。

 ※サットヴァについては、ヨガ哲学③を参考に。

●その行為が自身と周りの人、社会にとってよい行為であるかを考える。



はじめから自分のダルマがはっきりとしていることもあれば、どうもいまいちわからないこともある。いずれにしても、それを果たしていくための方法の一つが「カルマヨガ」ということになる。カルマヨガを行っていくうちに、次第に自分のダルマの姿が浮かびあがってくるのかもしれない。では、カルマヨガとは? それについては、ヨガ哲学③/カルマヨガで。






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